世界の錠剤を支える「見えない日本素材」
私たちが服用する錠剤には、病気を治療する有効成分だけが入っているわけではありません。
粉末状の成分を一つの錠剤にまとめ、輸送中に崩れない強度を持たせ、体内で適切に成分を放出させるため、さまざまな医薬品添加剤が使われています。
その一つが、ヒドロキシプロピルセルロースです。
「HPC」と呼ばれるこの材料を、日本曹達は「NISSO HPC」の名称で世界へ供給しています。
日本曹達関係者への公開インタビューでは、NISSO HPCは錠剤用添加剤として世界シェア約4割と推定されています。
一般にはほとんど知られていませんが、世界の医薬品製造を支えている日本企業の高機能化学品です。
医薬品の有効成分ではなく「錠剤を作る材料」
NISSO HPCは、病気を直接治療する医薬品の有効成分ではありません。
主な役割は、錠剤を構成する粉末を結び付けることです。
高い結合力によって錠剤の強度を確保できれば、錠剤を小さくし、患者が飲みやすい製品を作れる可能性があります。
有効成分を徐々に放出する徐放性を持たせることで、服薬回数を減らしたり、血液中の有効成分濃度を安定させたりする用途にも利用されます。
水とアルコールの両方へ溶解できることも特徴で、製薬会社は製造方法や薬の性質に合わせて処方を設計できます。
日本曹達によると、医薬品だけでなく、健康食品や工業用途でも使用されています。
新潟県の工場へ100億円を投資
日本曹達は2023年3月、NISSO HPCの世界的な需要拡大に対応するため、新潟県上越市の二本木工場で製造設備を増強することを決定しました。
投資額は100億円です。
新しい設備は予定どおり完成し、2026年7月に営業運転を開始しました。生産能力は従来の1.5倍へ拡大しています。
今回の重要な点は、将来の計画を発表しただけではないことです。
設備の建設が完了し、製品を製造できる営業運転の段階まで進みました。
ただし、日本曹達は年間生産量を公表していません。従来の生産量と増強後の具体的な生産量は確認できないため、「1.5倍」という比率以上の生産規模を推定することはできません。
なぜ医薬品添加剤の需要が増えるのか
世界では人口の増加と高齢化が進み、医薬品需要の拡大が予想されています。
新興国の所得水準が上昇すれば、医療へアクセスできる人が増えます。先進国では、高齢者が継続して服用する慢性疾患向け医薬品の需要が増える可能性があります。
ジェネリック医薬品の普及も、医薬品添加剤の需要に関係します。
薬の有効成分が同じでも、錠剤の硬さ、崩れ方、飲みやすさ、製造効率などを調整するためには添加剤が必要です。
一方、医薬品に使用される材料は、価格だけで簡単に切り替えられるものではありません。
原料を変更すれば、製薬会社は品質、安全性、製造条件などを再確認する必要があります。長期間にわたる品質実績と安定供給能力が、新規参入を難しくする要因になります。
「世界シェア約4割」は確定統計ではない
今回のテーマでは、「世界シェア約4割」という数字が強い注目材料になります。
ただし、この数字の扱いには注意が必要です。
日本曹達の2026年8月6日の公式発表には、世界市場の規模やNISSO HPCのシェアは記載されていません。
約4割という数字は、日本曹達関係者が公開インタビューで示した企業側の推定です。第三者調査機関が確定した最新統計として公表した数字ではありません。
そのため、「世界シェア4割を確保している」と断定するのではなく、「企業側は約4割と推定している」と表現するのが正確です。
それでも、100億円を投じて能力を1.5倍へ増強した事実は、日本曹達が今後の需要拡大に強い期待を持っていることを示しています。
増産だけでなく欧州の顧客を現地支援
製造能力を増やしても、販売できなければ設備投資は利益につながりません。
日本曹達は、増産と同時に海外の販売・技術支援体制を強化しています。
2026年2月には、ドイツのデュッセルドルフに「NISSO CTAC EU」を開設しました。
この施設には、欧米の製薬企業が使用する打錠機、造粒機、評価機器などが導入されています。
日本から製品を輸出するだけではなく、顧客がNISSO HPCを使った医薬品を設計する段階から現地で支援する体制です。
医薬品添加剤は、材料の性能だけで採用が決まるとは限りません。顧客の製造設備や処方に合わせ、具体的な使い方を提案できる技術支援が競争力になります。
世界最大級のジェネリック医薬品生産国インドへ
日本曹達は2026年4月から、インドでも販売体制を強化しました。
現地倉庫へ製品在庫を配置し、代理店経由の販売に加えて自社による直接販売を開始しています。
インドは人口14億人を超える巨大市場であると同時に、世界へジェネリック医薬品を供給する主要生産国です。
現地在庫を持つことで納期を短縮し、顧客の需要を直接把握できる可能性があります。
今後、インドの製薬会社による採用が増えれば、増産したNISSO HPCの有力な販売先になります。
一方、インド市場では価格競争も想定されます。高品質な日本製品という強みだけで、増産分を計画どおり販売できるとは限りません。
環境負荷の開示も競争力になる
欧州を中心に、製薬会社が原材料を調達する際、その材料の環境負荷を確認する動きが強まっています。
日本曹達はNISSO HPCについて、環境製品宣言「SuMPO EPD」を取得しました。
製品の原材料調達、製造、輸送などを含むライフサイクル全体の環境情報を、一定の方法で開示する仕組みです。
日本曹達によると、セルロース誘導体としてSuMPO EPDを取得した国内初の事例です。
製品の機能や価格だけでなく、環境情報を開示できることが、欧州企業から選ばれる条件になる可能性があります。
100億円投資は業績へどこまで影響するのか
日本曹達はNISSO HPCを、農薬、半導体材料、樹脂添加剤などと並ぶ成長ドライバーに位置づけています。
今回の増産によって販売数量が増えれば、ケミカルマテリアル事業の売上拡大が期待できます。
ただし、日本曹達はNISSO HPC単独の売上高や営業利益を公表していません。したがって、生産能力が1.5倍になったことから、売上や利益も単純に1.5倍になると判断することはできません。
新設備の稼働後は、減価償却費、原材料費、エネルギー費、人件費、物流費などが発生します。
十分な受注を確保できず、設備稼働率が低い状態になれば、増産設備が一時的に利益を圧迫する可能性もあります。
投資判断では、設備完成の発表だけでなく、今後の決算でケミカルマテリアル事業の販売数量と利益が実際に増えるかを確認する必要があります。
日本曹達の強みは一つの製品だけではない
日本曹達はNISSO HPCだけを製造する企業ではありません。
農薬、半導体フォトレジスト材料、樹脂添加剤、工業薬品、環境関連製品など、複数の事業を展開しています。
証券コードは4041で、東京証券取引所プライム市場に上場しています。
NISSO HPCの増産は成長材料の一つですが、このプロジェクトだけで日本曹達全体の業績や株価を判断することはできません。
農薬の海外販売、半導体材料の需要、原材料価格、為替、新規事業への投資、既存事業の再編なども業績へ影響します。
一方で、世界市場で高い浸透率を持つとされる製品へ100億円を投じ、増産設備の営業運転まで進めたことは、単なる研究開発よりも収益化に近い変化です。
今後確認すべき点
今回の発表によって、設備増強と営業運転の開始は確認できました。
次に確認すべきなのは、増産した製品を実際に販売し、利益へ結び付けられるかどうかです。
特に、次の変化が重要な判断材料になります。
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NISSO HPCの販売数量
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二本木工場の設備稼働率
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増産分の出荷開始
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欧州製薬会社による新規採用
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インドでの直接販売実績
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海外売上高の増加
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ケミカルマテリアル事業の売上と営業利益
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設備増強後の減価償却費
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原材料費とエネルギー費
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世界シェアに関する新しい開示
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新規グレードの開発と上市
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3Dプリンター製剤や連続生産への採用
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健康食品用途の拡大
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他社製品との価格競争
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環境認証を条件とする顧客の獲得
日本の「見えない素材」は成長事業になるか
NISSO HPCは、一般消費者が製品名を目にする機会の少ない材料です。
しかし、錠剤の形を保ち、飲みやすくし、有効成分の放出を調整するために使用され、世界の医薬品製造を支えています。
日本曹達は、新潟県の工場へ100億円を投じ、生産能力を1.5倍へ増強しました。さらに、欧州の技術支援拠点とインドの直接販売体制を整え、世界市場での販売拡大を狙っています。
増産設備が完成したことは一つの到達点ですが、本当の評価はこれからです。
増えた生産能力を受注で埋め、売上と利益を継続的に伸ばせるのか。
未来産業地図では、NISSO HPCの販売数量、海外顧客、設備稼働率、ケミカルマテリアル事業の収益、日本曹達の業績への寄与まで継続して追跡します。
主な根拠資料
日本曹達
「医薬品添加剤『NISSO HPC』製造設備の増強完了、営業運転を開始」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000035.000115085.html
日本曹達
「医薬品・医薬中間体」
https://www.nippon-soda.co.jp/fields_and_products/pharm.html
日本曹達
「NISSO HPC」製品情報
https://www.nissoexcipients.com/hpc-e/medical_apply.php
日本曹達
「会社概要」
https://www.nippon-soda.co.jp/profile/outline.html
日本曹達
「国内拠点」
https://www.nippon-soda.co.jp/profile/domestic.html
日本曹達
「長期ビジョン・中期経営計画」
https://www.nippon-soda.co.jp/profile/newslogan.html
日本曹達
「事業セグメント」
https://www.nippon-soda.co.jp/ir_fact/financial/business.html
日本曹達
「株主・投資家情報」
https://www.nippon-soda.co.jp/ir_fact/
日本曹達へのインタビュー
「『親しみと温かさのある会社』を目指して。日本曹達株式会社が取り組む、次世代を見据えたコーポレート広告」
https://oohmatch.com/articles/nipponsoda/
注意事項
本記事は、日本曹達が公開した資料などをもとに、技術およびプロジェクトの進展を整理したものです。
「世界シェア約4割」は、日本曹達関係者が公開インタビューで示した推定値です。第三者機関が確定した最新市場統計ではありません。
本記事は、特定企業の株式購入、売却その他の投資行動を推奨するものではありません。設備増強が、将来の販売拡大、利益増加または株価上昇を保証するものではなく、投資判断はご自身の責任で行ってください。

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